瀧から始まる物語

天正年間 金龍山垂玉寺があったとされその頃から利用されていたと考えられる。

 

垂玉温泉のシンボルである「金龍の滝」は訪れる人々が最初に目にする光景であり、
深く印象に残る景色でもある。

滝から流れ落ちる水は湧水であり垂玉川の源流でもある。

太古の昔より絶え間無く流れ続けこの場所に谷を作った。

また滝壺にある泉源も滝の落ちる力で泉源のある地層までえぐり、
辿り着いたことで「垂玉温泉」が生まれた。

垂玉という場所の過去から現在、未来へと繋がる長い「時間」、
地形、音という「空間」を象徴するものである。

  

 

 

垂玉温泉の歴史

江戸時代、享保年間に山崩れにより埋まる

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その後再興願いが出される

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明治中期 三代目により石垣などが築かれ山口旅館の原型ができる。
道路も整備し現在の喜多-垂玉線となる

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明治40年 与謝野鉄幹、北原白秋ら「五足の靴」の一行が宿泊
「後に滝の音面白き山を負い、右に切つ立ての岡を控へ左の谷川を流し、
前はからりと明るく群山を見下し、遙に有明の海が水平線に光る。
高く堅固な石垣の具合、黒く厳しい山門の様子、古めいた家の作り、辺りの要害といひ如何見ても城廓である、
天が下を震はせた昔の豪族の本陣らしい所に、一味の優しさを加へた趣がある。
これが垂玉の湯である、名もいゝが、実に大に気に入つた」

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昭和28年「6.26水害」により壊滅的被害を受ける。全面復旧まで3年を要する

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昭和55年「8.30水害」により滝の湯が崩壊する。1年後に復旧する。

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平成28年熊本地震 及び翌年の豪雨による土砂災害に見舞われ、復旧に5年を要する。

  

  

このように垂玉温泉は過去に幾度となく災害などにより大きな被害を被ってきましたが、
その度に我々の先祖を始め当時の従業員、再建の為に工事にあたる人々、
インフラの復旧などの公的な支援や資金面などの支援、
そして何よりエールを送り続けてくださり再開後もまた足を運んでくださるお客様、
たくさんの人々の手で垂玉温泉の燈は消えずに守られてきました。